2003/11/29(土)更新241回目
『目標であった”月収100万円以上”を達成!&兄さんのプロフィール』 |
やっと、やっとです。10月:965,843円、9月:948,844円、6月:977,845円、今までに3度ももう少しというところで目標を達成できませんでしたが、前々からの目標であった【月収100万円以上】を達成することができました!
兄さんが目標を達成できたのは、遊びに来て下さる訪問者の方々、相互リンクなどでお世話になっているサイト運営者の方々、そして、身近で兄さんを応援してくれる皆さんのおかげです。どうもありがとうございます☆
金持ち兄さんへの道を運営する兄さんに対して、皆さんはどんなイメージを持っているんでしょうか。たまにこんな事を考えることがあります。サイト内にプロフィールを載せていないので、この日記を手掛かりに想像するしか方法がない状態ですから、たくさんの方が色んなイメージを持っていると思います。
兄さんについて興味を持って下さる方がどれくらいいるのか分かりませんが、今日は兄さんの歩んできた道について少しお話したいと思います。
前々からこの日記を読んで下さっている方はご存知かと思いますが、兄さんは九州の宮崎県出身です。保育園に通っている小さい頃は、いわゆる『悪ガキ』でした(笑)。成人式で保育園が一緒だった女の子と話した時に、「私、保育園の頃は、兄さんに触られるだけで泣いてたよ(笑)」と言われたくらいですf
(^_^)。
そう言えば、今記念として取っている”母と保育園の先生との交換連絡帳”に、「集団行動をとらないといけない時でも、兄さんは一人で砂場の方に歩いていってしまい困ってます」と書かれていました。多分、いわゆる、”言うことを聞かない困った子”だったんでしょうね(笑)。
保育園に通っていた頃、洋服ダンスの上にある物(何だったかは忘れました)を取ろうとして、タンスの引出を足場代わりにしていたら、そのタンスが倒れて兄さんが下敷きになり、タンスの上にあった人形が入っているガラスケースが割れ、兄さんの目の下にガラスが刺さりました。
兄さんはタンスの下敷きになってガラスが頬に刺さった時、自分に何が起こったのか分かりませんでした。それで、近くにいる父の顔を見ると、父が目を丸くして兄さんの方を見ていたのを覚えています。
それですぐにその後、大きな病院に行くことになったのですが、普通の大きさのタオルの全体が血で赤く染まっているのを見て、その時初めて、自分に何が起こったのかが分かりました。大量に出血していたためか、とにかくぼんやりとしていて痛みは全く感じなかったのを覚えています。
でも、そのぼんやりしている中で今も忘れる事ができない出来事が起こりました。それは、涙を見せた事がない父が泣いていたことです。父が泣いている顔を見たのは、これが最初で最後でした。
後で母から聞いて分かったのですが、ガラスの破片が兄さんの目の近くに刺さったので、兄さんが失明したと思ったからだそうです。まだ3、4歳くらいの時でしたし、顔がとても小さかったんですよね。だから、大量の血で、ガラスの刺さった正確な位置が分からず、目に刺さったのだと勘違いしたんでしょう。
結局、病院に行って治療を受け、目には何の影響もありませんでした。でも、頬に傷はできました。近くで見ないとあまり分からないかもしれませんが、その時の傷は今でも残っています。『泣いたことがない父が自分のために涙を流してくれた。それだけ自分を大切に思ってくれていたんだ』父の涙を連想させる思い出の傷です。
この日記の読者の方は、『兄さんは変な話をするもんだなぁ』と思ったかもしれませんが、この時の出来事が後に兄さんに大きな悩みをもたらす原因になったので、ぜひ話しておきたいと思いました。
そして小学校に入学し、中学校に入学し、高校に入学しました。こまでは順調に人生を歩んできたと思います。ただ、悪ガキだったことは否定しないです (笑)。中学の頃は、親が先生に呼び出された事は何度もありますし、高校の頃は、学校には行かず朝から一人でゲームセンターに行ったりしていました。
自分で言うのもなんですが、ゲームは上手かったです。学校には行かず(笑)、ゲームの攻略本を毎月購入し、毎日ゲームセンターに通っていました。格闘ゲームが大好きで、対戦をすると大人や大学生にも勝っていました。格闘ゲームで、最高で連続43人勝ちをしたのを覚えています。『自分が勝てない相手はいない』という程の自信を持っていましたf(^_^)。
ただ、学校はよくサボっていましたが、受験に対する意識は高く、受験に関する本をたくさん読んだり、家で勉強をしたりということはしていました。この頃は『先生の顔色を気にしたり、推薦入試を利用しないのなら、学校の成績がどんなに良くても、結局は自分には関係がない。
受験時の点数で、大学に入学できるかどうかが決まるのだから。学校に行って全部の科目学び、学校の成績のための勉強をするんじゃなくて、自宅で自分が行きたい大学のための勉強をしていた方が効率が良い』こんな考えを持っていたのを覚えています。人間的にもとても未熟でちょっと変わった高校生でした(笑)。
この小学校〜高校卒業までの間は、お金に対する意識はどうだったかと言うと、ほどほど高かったと思います。兄さんの家は貧乏だったので、小さい頃は友達の家に遊びに行ったりした時、友達から家族の話を聞かされたりした時に、『どうして俺の家は、借家でボロいんだろう…』『どうして俺の家は、家族で外食に行くことがないんだろう』『どうして俺の家は、お金がないんだろう…』こんな疑問を持っていたのを覚えています。
兄さんは、家族で県外旅行に行った事がまだ一度もありません。それに、実家は借家で何十年も前に立てられた古いところです。そこに父と母が結婚した時からずっと住んでいます。親は2人とも中古の軽自動車に乗っていますし、貯金だってありません。ただし、数十万円の借金はあります(笑)。
今までの話を聞いてもらえば分かるかと思いますが、本当に貧乏なのです。なぜこんなに貧乏なのか…それは父のせいです。この貧乏な環境と父が今の兄さんを作りました。
ここで兄さんの父について少し話しておこうと思います。兄さんの父は自分勝手でまるで子供のような人でした。毎日お酒を飲む、タバコを吸う、ギャンブルをする、仕事を転々と変わる、そして借金をする。こんな父だったから、親戚などから『駄目な親』だと言われていましたが、兄さんはそんな父が好きでした。
もちろん、タバコを吸ったり、毎日酒を飲んだり、借金で母を困らせたり、こんな部分はとても嫌いでしたよ。ですから兄さんは、タバコは吸いませんし、毎日お酒を飲んだりもしません。そしてもちろん、借金も凄く嫌いです。『初期投資』や『設備投資』というキレイな言葉のオブラートに包まれていても、借金だけはしたくありません。兄さんがする借金は、奨学金が最初で最後だと思います。
こんな父に不信感を持ち始めたのが、確か、中学校の反抗期辺りだったと思います。タバコの煙で自分の制服がタバコ臭くなっていたり、タバコの煙が身近な人に悪影響を与えたりするのが分かったり、自分の家が借家で貧乏なのを嫌だと思ってきたり、仕事を転々とするのが世間的には良くないことだと分かったり、借金が家族を困らせるということを知ったり、色んな面で知識が付いてきたからだと思います。
父は「お父さんは、お前達(兄さんと妹)がお父さんみたいにならないように、悪い例を見せているんだぞ(笑)」と冗談ぽく言っていましたが、兄さんの中では本気でそう思うようになっていました。でも、先ほども言いましたが、それでも兄さんは父が好きでした。父が消費者金融に手を出すまでは。。。
父はお金に対する意識が低く、兄さんが小さい頃から、親戚・会社の同僚などから借金を繰り返していました。「お金があったら全て遣う」という、まるでお金の管理ができない人だったのです。
今でも忘れはしないのですが、兄さんは小さい頃、自分がお正月に親戚などから貰ったお年玉のお金を、毎年父に預けていました。「失くしたらいかんから、お年玉をお父さんに預けちょかんか?(預けておかないか?)今度返すから」こんな事を言われて、素直に預けていたのです。そしたら、それを自分がギャンブルなどで使い込み、結局は母が兄さんに返す、という信用を失うようなことを父は繰り返していました。
さすがに中学校くらいになると、お年玉を含めて父にお金を貸すと返してもらいないことが分かり、自分にお金があることを父には隠すようになりました。でもこの時、『自分がお年玉を預けなかったら、またどこかから借金をして、母を泣かすんじゃないだろうか』と、子供ながらに考え、返ってこない事が分かっていながらも、兄さんは父によくお金を預けていました。でも、妹は預けなかったですね。かなりのしっかりものです(笑)。
こんな父の借金の繰り返しによって、兄さんが小学5年生の時に立てる予定だったマイホームの夢は、結局は今も実現できていません。小さい頃は、自分の周りの友達のように、キレイな自分の家が欲しくてたまりませんでしたが、今では、無理をして建てなくて良かったと思っています。大きな住宅ローンが残り苦しめられるか、結局は、今はもういない父の借金を返すために家を手放していたでしょうから…。
<続く…>
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