2003/09/06(土)更新216回目
『”ナニワ金融道”著者:青木雄二さんのご冥福をお祈り致します』 |
今日は新サイトの作成でくたくたに疲れたので、作成が落ち着いたらもう寝ようと思ったのですが、青木雄二さんが死去したニュースをYahoo!Japanで見かけたので日記を書きたくなりました。
以前の日記にも書いたのですが、兄さんは青木雄二さんの本がとても好きでした。なんと言うか、世の中の汚い部分や、ウソの部分を本の中で教えてくれたんですよね。ハッキリと物を言える方が去ってしまうのは、本当に寂しい感じがします。。以下は、毎日新聞のサイトから一部引用させて頂いた記事です。
<始まり>
漫画『ナニワ金融道 』で金融業の裏を描き、バブル崩壊を招いた日本経済の矛盾を著作で突いた元漫画家でエッセイストの青木雄二(あおき・ゆうじ)さんが5日午前2時12分、肺がんのため死去した。
1945年京都府生まれ。電鉄会社勤務や公務員を経て、大阪でキャバレー、パチンコ店店員、すし屋職人見習など30以上の職を転々とした。30歳でデザイン会社を設立したが8年で倒産。
44歳の時、投稿作品が入賞し、90年から「週刊モーニング」で、大阪の金融業者の若手社員らを主人公に、多重債務者からの債権回収の悪戦苦闘ぶりなどを描写した「ナニワ金融道」の連載が始まった。単行本は19巻出て計1365万部売れるベストセラーに。
92年度の講談社漫画賞、98年の手塚治虫文化賞マンガ優秀賞も受賞した。人気グループSMAPの中居正広さんを起用してテレビドラマ化され、銀行や証券会社の研修用テキストに使われるなど、社会的反響を呼んだ。
<終わり>
彼は腱鞘炎になっても『ナニワ金融道 』を書き続け、この作品のHITによって大きなお金を手に入れました。兄さんとしては、このお金を使ってもう少し漫画家卒業後の人生を楽しんで欲しかったと思います。あんな漫画を書ける人はもう現れないかもしれませんね。本当に好きな漫画家だったのでとても残念です。
兄さんが6月に実家の宮崎に帰った時に、実家から『ナニワ金融道 』を名古屋に持っていきました。兄さんの住んでいるアパートには漫画はこの本しか置いてありません。『ナニワ金融道 』を持ってくる前は、1冊も漫画はありませんでした。その約2ヵ月後に著者の青木雄二さんがお亡くなりになるとは、何か不思議な感じがします。
大して知らない人・関心のない人が亡くなったという知らせを聞いても、あまり心が動くことはありませんが、自分が好きであったり、身近な存在に感じている人が亡くなった話を聞くと、何だか『死』というものを身近に感じてしまいますね。兄さんは自分が死ぬ時に、『あれをやっておけば良かったなぁ』という後悔だけはしたくないと思います。
兄さんに多大な影響を与えてくれた青木雄二さんのご冥福をお祈りいたします。あなたのおかげで世の中の真実がだいぶ見えました。漫画を書いている間は大変な毎日だったと思いますが、これからはゆっくりと休んで下さい。お疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。 金持ち兄さん
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