2003/12/06(土)更新242回目
『掲示板の一時休止&兄さんのプロフィール2〜父がサラ金に手を出した日〜』 |
今日、掲示板の休止とメールでのご質問をお断りする内容のページを作成しました。みなさんとの交流の場として、また重要なコンテンツとして大切にしてきた掲示板ですが、サイトの質を向上させるために一時休止する事にしました。今までの間、本当にありがとうございました。時間に余裕ができ、また掲示板の再開ができた時にはよろしくお願い致します
(*^^*)。
『掲示板をご利用して下さる方、金持ち兄さんにメールを下さる方へ』
では今日は、兄さんのプロフィールの続きを書きたいと思います。父の借金癖は、兄さんが小さい頃からありました。でも、金額は多くても10万円程度でしたし、家庭に深刻な経済的なダメージがある程ではありませんでした。父は、結婚していても独身時代のような感覚だったんでしょうね。
前回の日記で、兄さんは『今までに県外に家族旅行に行ったことは一度もない』と言いましたが、父だけは会社の社員旅行で海外に行ったことが何度かありました。その時は確か、母が20万〜30万円ほどお金を準備していたと思います。
母や兄さん・妹は、もちろん父が海外旅行に行くことは反対だったのですが、まだ小さかったですし、父を止めることは出来なかったんですよね。社員旅行の度に、父と母がお金のことで喧嘩をしているのを見るのが本当に嫌でした。
そんな父の身勝手さを我慢できなくなった、父という人を本当に信用できなくなったのは、兄さんが高校を卒業する頃だったと思います。具体的には、ちょうど今頃の時期だと思います。兄さんが外から家に帰ると、父と母が喧嘩をしていました。父と母はお金の事でよく喧嘩をしていたのですが、いつもとは雰囲気が違います。なんというか、母に怒りだけではなく脱力感があったような感じでした。
『子供達の前でお金の話はするな!』と、いつも父は母に言っていました。常に自分に非があるので、これは当然ですよね。自分のだらしのない部分を子供に見せたい親なんていないでしょうから。でもその時兄さんは、母のいつもとは違う怒り方が気になり、「俺もこれから大学に行くんだし、お金のことは聞く権利がある」と言って、父と母がいる部屋で話を聞かせてもらうことにしました。
話の内容は、また父が借金をしたという内容でした。父と母がお金の事で揉めている時点で、また父の借金が原因であることは大方想像が付いていたので、これを聞いただけではそんなにビックリしませんでした。ですが、金額と借りた相手を聞いた時、兄さんはゾッとしました。金額は250万円、さらに、借りた相手はサラ金(消費者金融)だというのです!
今までとは桁違いの金額に驚き、そして、自分の息子(兄さん)がもうすぐ大学に入学するという時期に、消費者金融からお金を借りたという事実に愕然としていました。この時ですね、兄さんが「父は、本当に自分の事しか考えていないんじゃないか。家族のことなどどうでも良いんじゃなか?」と思い始めたのは。
家族を愛していれば、金利が馬鹿高い消費者金融からお金を借りたりしませんよね。その時父は、そのお金を何に使ったのか話しませんでしたが、兄さんがこれまで父を見てきた経験から、借りたお金をギャンブルなどの自分の欲望のために使ったんだと思います。
この頃は、兄さんはお金に関してあまり興味もなく、詳しくもありませんでしたが、『サラ金(消費者金融)=家庭を崩壊させる可能性もある恐ろしい金貸し』というイメージがありました。そのサラ金に手を出した父に対して、兄さんはとてつもない不信感を持ちました。結局その時は、母がそれまで積み立てていた兄さんの学費の半分を父の借金返済に充てました。
その行為自体は仕方かなったと思いますが、母が兄さんの学費を父の借金返済に充てることを、あらかじめ兄さんに言わなかった事が、兄さんが母に対しても不信感を持ち始める原因となりました。「俺の学費を、なんで何も言わずに父の借金のために使ったんだろう…」と思いました。
父は強気な人で、この時、『お前達されよければ、俺はいつでも出て行くぞ(離婚するぞ)!ただ、父親がいない家庭というものがどんなに辛いものか、お前達は分かっているんだろうな!結婚にも支障が出るし、大学なんて、とてもじゃないけど行けないぞ』と言っていました。
まだ高校生だった兄さんは、母子家庭に対して良いイメージを持っていませんでした。もちろん、母子家庭で育った人がどうのこうのではなくて、「片親だから…」とかいう偏見を持つ方がいるというイメージや、経済的にとても厳しいというイメージです。ですから、この時はまだ父がいなくなるのが怖くて、父と母の離婚を強く勧めることはできませんでした。
それから一年くらい経ったときでしょうか、また父が借金をしました。金額は確か200万円くらいだったと思います。もちろんこの時に借りた相手もサラ金
(消費者金融)でした。父は前回の借金の時に、『今回のことはお父さんが悪かったけど、お前が大学を卒業するまでは、お父さんが精一杯頑張る』という言葉を兄さんに言っていました。
その言葉を信じていた兄さんは、この時の父の借金は本当にショックでしたね。父がやったことの重大さに気付いておらず、父が嘘つきである・信じてはいけない存在であることをハッキリと証明する事になったのですから。
さすがにこの時は、かなり父を責めました。自分の力で大学を卒業できるか不安でしたが、父と母に離婚を迫りました。妹も兄さんと同じ考えでしたが、でもやはり、妹はまだ父がいなくなった時の社会的なダメージ、経済的なダメージを気にしている様子でした。
自分がしたことの重大さに気付かず、いつものようにお酒を飲み開き直る父を見て、兄さんは強く離婚を迫りましたが、母がどうしても納得してくれず諦めました。ですが、兄さんも心のどこかで「本当は離婚して欲しくない。昔の父に戻って欲しい」と思っていたような気がします。
この時に兄さんが父のことをボロクソに言ったので、怒った父は兄さんに迫ってきました。酒を飲み迫ってくる父を兄さんは手で押しました。すると、酔っ払って足元がおぼつかない父は、兄さんに押された事で自分の後ろにあった障子を突き破り倒れました。
この時はさすがに罪悪感が湧きましたね。暴力ではなくとも、自分の父に手を上げた自分と、そして障子を突き破って倒れている父を見て、何と言うか、自分の父がとても惨めに思えてきたのです。そして、こんな父を持った自分も惨めに思えてきました。倒れた父をそのままにして、兄さんは自分の部屋に戻りました…。
結局この時も、兄さんの学費にとってあった残りと貯金の200万円で父の借金を返済しました。これによって、兄さんの次の授業料が払えなくなり、母は昼間の美容師の仕事が終わった後、家族に食事を作り、夜はコンビニのおにぎりなどの惣菜を作る工場に働きに出るようになりました。
朝7:00頃に起き家族の食事を作り、そしてそれから美容室で働き、そして、夜7:00くらいに帰ってきて家族の夕食を作り、そして、夜の9時位から工場に働きに行く。そして、帰ってくるのは朝方の4時くらいでした。その繰り返しを週に5日くらいやっている状態でしたから、さすがに体もおかしくなってきますよね。気のせいかもしれませんが、この時一気に母の顔が老け込んだように思えました。
それである日、夜工場に働きに行く途中に母が事故にあいました。常に睡眠不足だったからでしょうか、道路脇から出てくる車に気付かず、それを避けようとして車のハンドルを切ったところ、母の車が横転してしまったのです。
幸い母の体はかすり傷程度で無事でしたが、車を修理するために数十万円が必要になりました。子供の学費を稼ぐために夜も仕事に出ているのに、そのお金が全部ふっとぶような車の修理代が必要になったのです。もう、何もかもが悪い方向に進んでいてドン底の状態でした。
その時父は何をしていたのか…今までの自分の生活スタイルを変えず、家に帰っては酒を飲み、母の料理がマズイとか、手抜きだと言っていました。兄さんと妹は、「お父さんの借金で家がこんな状態になってしまったのだから、お母さんじゃなくてお父さんが夜働くべきでしょ!」と、母が働きに出ている間、何度も父に言っていましたが、酒を飲んだらもう人の話など聞く状態ではありません。開き直って、そして、10時くらいになったら自分だけ寝る。こんな信じられないような生活を送っていました。
兄さんの日記の読者の方に引かれてしまうかもしれませんが、この時に兄さんは始めて思いましたね…『父は死んだ方が良いんじゃないか…』と。このままでは過労で母が死んでしまう。それだったら、母をこんな目に遭わせている父が死ぬのが当然だと思ったのです。
父に死亡時に1500万円が下りる生命保険が掛かっている事を知っていましたし、それがあれば母や妹、そして兄さんは生きていけると思いました。冷静な今ではバカな考えだと思いますが、この時は本当に追い込まれていましたから。
この頃兄さんはどうしていたのかと言うと、名古屋の家電量販店でアルバイトをし、自分の身を守るためのお金を貯めるようになっていました。具体的に言えば、”いつ家からの援助が止まってもよいように準備を始めていた”のです。別れた彼女と付き合い始めたのも、確かこの頃でした。
この頃でしょうか…兄さんがお金に対する興味が凄くなったのは。金持ちになるための本や、ビジネスで成功するための本、そして、株式投資の本を読み漁るようになりました。経済的な面でも、それ以外の面でももう父に頼ることはできないと思い、自分が父の代わりになろうと思い始めたのです。
ですから、兄さんがお金儲けに興味を持ち出した一番のキッカケはこれなのかもしれません。自分が金持ちになることで、母や妹を十分養えるだけの存在になろうと思ったのです。
母の睡眠時間を削っての副業、そして、親戚のおじちゃん、おばちゃんの援助もあって、確かだいたい1年後くらいだったと思います。ギリギリですが兄さんの学費にめどが立ち、母が夜に働かなくても良くなりました。この1年の間にも深刻な問題が起こったのですが、まだ家族のみんなが生きていますし、これはさすがに日記上で言えることではないと思いますので、ここでは書かない事にしようと思います。
こんな感じで、また普通の生活に戻れたのですが、兄さんは、この頃には父が家にいることが不安の種になっていました。『また父が消費者金融に金を借りて、俺達が困るんじゃないか…』という不安です。これが確か、2002年の4月頃だったと思います。
そう…兄さんが他のサイトを見たのがキッカケで、『金持ち兄さんへ道〜タダでネットで稼ぎ株で儲ける〜』を作り始めた頃です。それまで稼いだバイト代と、付き合っていた彼女に支えられて、兄さんはサイト作成に集中するようになっていました。でもこの時は、『自分が会社に勤めて働き出してから、月に数万円くらいの副収入が会ったら良いな〜♪』こんな軽い気持ちだったと思います。
そして7月に入り、小学校から一緒だった幼なじみが結婚するというので、兄さんは実家に帰ることになりました。2002/07/09(火)の日記に兄さんが帰省した時のことが書いてありますが、読んでもらえば分かるとおり、ごく普通の内容の日記です。
ですが実は、この時の兄さんの精神状態はメチャクチャでした。そうです…また父の借金が発覚したのです!金額は400万円ほど、もちろん借りた相手は消費者金融でした…。
<続く…>
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