自分がしたことの重大さに気付かず、いつものようにお酒を飲み開き直る父を見て、兄さんは強く離婚を迫りましたが、母がどうしても納得してくれず諦めました。ですが、兄さんも心のどこかで「本当は離婚して欲しくない。昔の父に戻って欲しい」と思っていたような気がします。
この時に兄さんが父のことをボロクソに言ったので、怒った父は兄さんに迫ってきました。酒を飲み迫ってくる父を兄さんは手で押しました。すると、酔っ払って足元がおぼつかない父は、兄さんに押された事で自分の後ろにあった障子を突き破り倒れました。
この時はさすがに罪悪感が湧きましたね。暴力ではなくとも、自分の父に手を上げた自分と、そして障子を突き破って倒れている父を見て、何と言うか、自分の父がとても惨めに思えてきたのです。そして、こんな父を持った自分も惨めに思えてきました。倒れた父をそのままにして、兄さんは自分の部屋に戻りました…。
結局この時も、兄さんの学費にとってあった残りと貯金の200万円で父の借金を返済しました。これによって、兄さんの次の授業料が払えなくなり、母は昼間の美容師の仕事が終わった後、家族に食事を作り、夜はコンビニのおにぎりなどの惣菜を作る工場に働きに出るようになりました。
朝7:00頃に起き家族の食事を作り、そしてそれから美容室で働き、そして、夜7:00くらいに帰ってきて家族の夕食を作り、そして、夜の9時位から工場に働きに行く。そして、帰ってくるのは朝方の4時くらいでした。
その繰り返しを週に5日くらいやっている状態でしたから、さすがに体もおかしくなってきますよね。気のせいかもしれませんが、この時一気に母の顔が老け込んだように思えました。
それである日、夜工場に働きに行く途中に母が事故にあいました。常に睡眠不足だったからでしょうか、道路脇から出てくる車に気付かず、それを避けようとして車のハンドルを切ったところ、母の車が横転してしまったのです。
幸い母の体はかすり傷程度で無事でしたが、車を修理するために数十万円が必要になりました。子供の学費を稼ぐために夜も仕事に出ているのに、そのお金が全部ふっとぶような車の修理代が必要になったのです。もう、何もかもが悪い方向に進んでいてドン底の状態でした。
その時父は何をしていたのか…今までの自分の生活スタイルを変えず、家に帰っては酒を飲み、母の料理がマズイとか、手抜きだと言っていました。兄さんと妹は、「お父さんの借金で家がこんな状態になってしまったのだから、お母さんじゃなくてお父さんが夜働くべきでしょ!」と、母が働きに出ている間、何度も父に言っていましたが、酒を飲んだらもう人の話など聞く状態ではありません。開き直って、そして、10時くらいになったら自分だけ寝る。こんな信じられないような生活を送っていました。
兄さんの日記の読者の方に引かれてしまうかもしれませんが、この時に兄さんは始めて思いましたね…『父は死んだ方が良いんじゃないか…』と。このままでは過労で母が死んでしまう。それだったら、母をこんな目に遭わせている父が死ぬのが当然だと思ったのです。
父に死亡時に1500万円が下りる生命保険が掛かっている事を知っていましたし、それがあれば母や妹、そして兄さんは生きていけると思いました。冷静な今ではバカな考えだと思いますが、この時は本当に追い込まれていましたから。
この頃兄さんはどうしていたのかと言うと、名古屋の家電量販店でアルバイトをし、自分の身を守るためのお金を貯めるようになっていました。具体的に言えば、”いつ家からの援助が止まってもよいように準備を始めていた”のです。別れた彼女と付き合い始めたのも、確かこの頃でした。
金持ち兄さんの自己紹介 7 へ続く…
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